2009年11月7日土曜日

二人の渡始式

11月07日

伊勢志摩地方はきょうも いい天気
11月03日に新宇治橋の渡始式が挙行された
昨日6日 妻も休みとあって 二人で神宮にお参りする





3日まで使われてきた仮橋の上から新宇治橋をのぞむ
宇治橋全体を見られる絶好のポイントだ

仮橋と新宇治橋が並んでいる姿
この写真は20年先まで撮影することができない

緩やかにアーチを描き 堂々たる威風
全長101.8メートル
幅    8.4メートル
木造橋としては日本最大級


橋脚はケヤキ  あとは総檜造りだという
まだ遠く離れていてもヒノキの香りがただよう
五十鈴川の水面を渡る風と共に一帯をつつむ
訪れる人 口々に「ああ~いいかおり」

五十鈴川上流部に設けられた 木除杭
水かさが増し上流からの流木などで橋脚が壊されるのを防ぐ



木の接合部分にはめられた 金具

橋の人が歩く部分は古来からの船を造る技術がつかわれ
釘を使わずはめこみ 叩いて仕上げられる

五十鈴川に設けられた手水場
身も心も清め 御正殿へ向かいます

普通は参道を通るが 今日はよりみちをしながらまいろう

妻は初めてという 別宮
「風日祈宮」=(かざひのみや)をおまいりする
別宮とは神宮と同格扱いされるほど位の高い神社
いわば御正宮の弟妹

五十鈴川に橋がかかり 
苔むした鳥居や橋は 威厳を放つ


風日祈宮
風と雨の神様 

農耕民族の日本人は 稲作に適した雨や風を祈った
風を「神の息」と考えてきたらしい
鎌倉時代 元寇があった
元(モンゴル帝国)が当時の属国高麗(朝鮮国)を使い
日本を2度にわたり攻撃してきた
ここ 風日祈宮で祈祷が行われ 「神風」が起きた
元 高麗連合軍に壊滅的打撃を与えたとある
それ以来「国難を救う神」として崇められる様になった
幕末 ペリーの黒船来襲の時も祈祷が行われたらしい



御正殿での参拝も済ませ
もう一つの別宮 荒祭宮=(あらまつりのみや)へむかう
巨木に出合い 思わず手で触れる
参拝の人も思いは同じなのか 手で触れた部分だけ光沢が出ている




荒祭宮への道すがら
御倉が集まるところがある
神楽殿の手前一帯だ
御稲御倉
国の礎は「稲」とされ 稲穂が納められる倉



外幣殿
古代からの神宝を納める倉


さらに進むと
「荒祭宮」  あらまつりのみや
神のおだやかな魂を「和御魂」=にぎみたま
時としてあらぶる魂を「荒御魂」=あらみたま と言う

拝殿に登る階段の真ん中に杉の巨木がそびえ立つ
約200年前芽を出し 成長とともに階段を
作り替えてきたと言う



参拝も終え 帰路につく
おはらい町もおかげ横丁を過ぎたあたりから人通りも少なくなる
整備された庭になごむ


おはらい町通りは通りに面した商家、民家も町並みを揃える計らいがなされる
銀行も和風の構えです

二人で少し歩き疲れたねと 五十鈴川べりでひとやすみ
河原に出ていた出店で みたらしとお茶を買い

川を眺めていると 
かもとあひるが♪♪~
仲良く泳いでおりました

水の流れも美しく 
餌を探して泳ぐ彼らに 心安らぐひとときだった





神宮参拝もすこし通常のコースから離れると
あらたな発見があったり 
こんな処に こんなものがと 気づきます
時間をかけて神宮125社巡りでもしてみるか




伊勢市