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2012年1月28日土曜日

志摩三橋と珍しい木


月曜から金曜まで施設に通う人たちを迎えに行く
阿児町鵜方から志摩町御座(ござ)まで往復約1時間30分

志摩半島先端の町志摩町御座
夏は御座の白浜海水浴場でにぎわう
 


R260から越賀の集落へ入る取り付け道路に
この木はある
この木の立つ土手近くには駐車できるスペースと飲料の自販機があり
ときおり 飲み物を買うドライバーの姿が見受けられる

飲み物を買わなければ見過ごしてしまうかもしれん
地元の人は周知のことで あえてじっくり見ることはないのかもしれん

その形状とここまで大きくなった姿に しばし見入ってしまい
今回写真に納めてきた

よく見ればよくぞここまできれいに巻きあげたもんやの~と感心

違う方向から見ればこんな姿
う~ん・・

なんという木の種類なのかもわからん

阿児町からここに至るまで「志摩三橋」のうち2つをわたる
ひとつは 斜張橋 
「丸山橋」
綺麗なワイヤー美をみせてくれる


もう一つは
「パールブリッジ」
こちらは白亜のアーチ橋である
和具の港に至る海峡にかかり 橋の下には志摩水産高校がある

後ひとつは的矢湾にかかる
的矢湾大橋である
この橋は送迎ルートに無いので普段は通らない
以上が「志摩三橋」と言われる橋たちである

リアス式海岸の志摩半島は海峡にかかる橋たちが重要な役目をしている
集落を結び経済 観光 文化 生活の交流橋にもなっている
橋がなければ海岸沿いの狭い道を何時間も掛けて行かなければならなかった

この時期「賢島大橋の夕日」は写真家が注目する
橋の中央に「太陽」がしずみ
その姿が見えなくなるまで シャッターを切る音が鳴り響く

志摩市と「橋」を取り上げてみた

2012年1月15日日曜日

初詣に「伊雑宮」と青峰山「正福寺」へ

1月13日
初詣に出かけた
行く先は青峰山正福寺と伊雑宮である

青峰山正福寺は縁起によれば奈良時代 
天平年間に僧 「行基」が創建

江戸時代に入り文化文政の頃
現存の建物群が建てられたらしい
志摩地方には珍しい
高野山真言宗系のお寺である

青峰山の標高が336メートルあり 
当時は志摩一円はおろか遠州まで望めたという
古くから漁師 海女 海運関係者に信望が厚く
本尊の「十一面観音」は鯨に乗って現れたと言い伝えがあるそうな

船の安全航行のため夜間は「護摩焚き」をし目標としたらしい
縁起はともあれ 由緒歴史もあるお寺だ

正福寺山門 寺側より


正福寺

本尊の十一面観音は秘仏で ご開帳は50年に一度
次は2039年

堂内は海に関した「絵馬」が沢山掲げられている

あまりにも寒いので早々に退散
磯部の「伊雑宮」へお参りした
伊雑宮は神宮 志摩一宮
皇大神宮の別宮で位も高い


昨年一年間のお礼と新年の祈願を行い無事参拝も終了となった

2011年12月3日土曜日

平 清盛  NHK大河ドラマで!!

来年のNHK大河ドラマは「平清盛」

伊勢國 産品(うぶしな) 現在の三重県津市 産品で生まれたとある
元永元年(1118~1181)

NHK 放送開始は2012年1月18日 20時~

「平氏にあらずんば人にあらず」と平氏一門の隆盛を極めた人
源氏の視点から書かれた「平家物語」=作者不詳

貴族社会での覇権争いに乗じ「武士」の力を背景に
娘を天皇に嫁がせ 政治の世界でも力を誇示した

大河ドラマではどのように「清盛」が描かれていくのか
伊勢神宮 豊受大御神=外宮に「清盛楠がある

2010/04/04撮影
清盛が勅使(天皇の使い)として神宮に参拝した際
かぶっていた冠」がこの楠に触れ
冠が落ちそうになった事に怒り
枝を切らせたとの伝説がある


今日の新聞の折込に
NHK大河ドラマ総合プロデューサーの公演のチラシがあった

ドラマの成功はまず地元を煽ることからか
果たしてドラマはのるかそるか


2011年6月14日火曜日

おかげ横丁 屋根散歩♫~ 

伊勢 おかげ横丁は飲食店やみやげもの屋が立ち並び
神宮参拝の前後に立ち寄る「テーマゾーン」となりつつある


おかげ横丁の建物の屋根にはオーナー拘りの
「ゲンかつぎ」や「あやかり」が見え隠れする
そんな建物群の屋根を見て歩いてみた


                              宝船          福助         大黒

八咫烏
神武天皇東征の際 道案内をしたと言われる
「太陽の化身」=アマテラス
日本サッカー協会のシンボルマークでもある



道中伊勢音頭 下 (別れの歌)


(前奏囃子入)アーア ヨオーナーア
明日はおたちか ヨイ ヨイ 
お名残り惜しゆや 
アヨーイセーソーコセー六軒茶屋まで送りませう 
アソレ六軒茶屋のまがりとで アソレ
紅葉のやうな手をついて アソレ
糸より細い聲を出し アソレ
皆様左様なら御機嫌よろしう御静かに アソレ
また来春も来ておくれ アソレ
来春来るやら来ないやら、アソレ
姉さん 居るやら 居ないやら アソレ
これが別れの盃と アソレ
思へば涙が先にたつ アソレ
雨のナーア 十日も ヨーイ 
御連中さんよ降ればよいホンマカ彌長久(ヤートコセー)
世怡彌成(ヨーイヤナ)安樂樂(アアララ) 
是者伊勢(コレハイセ)そりゃ善所伊勢(ヨーイトコーセー)

明日はお立ちか お名残惜しや~と刻まれた 軒瓦
お伊勢名物 荷物にゃならぬ と歌われた
伊勢音頭の歌詞も軒瓦としてつかわれている

おかげ横丁の屋根瓦には

国家安寧
五穀豊穣
子孫繁栄
開運招福
を願う多くのの「縁起物」でいろどられている







見よ 聞け 喋れ



普通なら
見ざる 聞かざる i言わざるなのだろうが
おかげ横丁の事を
「よく見て 聞いて 喋って欲しい」との現れだという

横丁の飲食店やみやげ物屋をおとずれ
飲み食い 買い物はもちろん結構

ふと 視点を変えて別なアングルで
この建物群を見てみるのも 一興かと思うが
まあ 屋根なんぞに注目して歩いて居るやつなんぞ
めったにおらんとはおもうが





ふくろう「不苦労」につうじる

打ち出の小槌

大黒さん

成功している テーマゾーン
おかげ横丁
瓦業界からも 注目されている
ちょっと気にして歩いてみても 損にはならん
「上を向いて歩こう」やな


2011年6月3日金曜日

watch , hear , say



伊勢 おかげ横丁 味匠館

2011年4月30日土曜日

志摩市「芝桜公園」

4月30日

画像をクリックすると大きい画像になります
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志摩市 磯部町 道の駅伊勢志摩に隣接する
「芝桜公園」に出かけてみた

昨年Yahoo「旅メモ」でも書いていたが

やっと芝桜が咲き始めてきた
それでも 所々ハゲてはおるが
見られんことはないやろ

それでも入場料500円はチト高い気もするが
今後に期待して
なが~い目でみてやろう

雑草との戦いらしく
きょうも多くの人が草引きをしていた

















誰が見ても美しいとおもうには
まだまだ年月がかかりそうだ

草木や自然には見頃があり
期間限定となってしまう

今後も整備を重ねて
志摩新名所となってほしいものだ

2010年9月1日水曜日

夢行灯



谷村新司 「夢行灯」

夏の終わりの 夜の夢は
売られ売られて ながれゆく
白き娘の恋の夢
命みじかし 運命めなら
せめて故郷で死にたいと
暗い瞳で つぶやいた

土手の柳に 吹く風に
吹かれて揺れる 新内流し
悲しき恋の顛末を
ふさいだ耳に 忍ばせる
娘は十五 白い手で
古い行灯の 火を消した


9月になりました
まだ 蒸し暑い日が続いており 一雨が欲しくもなります
きょう朔日 例により朝2時40分起床
満天の星と 半分の月が輝いておりました

2010年5月1日土曜日

阿児ライブラリーの藤棚

5月1日

朔日参りの日でした
朝2時45分起床 コーヒをー入れて
3時過ぎには妻を送り出した

だが 非常にねむい
リビングのソファーで10時近くまで寝てしもた

連休に入った 賢島あたりへ出かけてみる
道路も混雑はない 志摩マリンランドは少し賑わいがある

毎年気になる 阿児ライブラリーの藤棚
ほぼ満開になって 見頃だ


藤の花の匂いがたちこめる
蜂がぶんぶん 騒ぐ



異国の景色?
しばらく 撮影を楽しみ 帰宅した

2010年3月26日金曜日

伊勢現代美術館

3月25日

志摩地方は朝から雨もよう

本当なら孫の誕生祝いを兼ねて京都へ行こうかと

妻と相談はしていたんやが

雨で長距離の移動は危険と思い断念した



昨日は「合歓の郷」の温泉へ出かけたが

世間は「春休み中」

高校生や大学のサークル活動の一団か

彼らで賑わっており

うるさい うるさい 奇声を発する者

温泉内でふざける者たちで おられん

早々に退散した

風呂代1600円かえしてくれ

まあ こんな時に来たワシらが悪いと思うて

帰ってきた



本日25日は ちょっとカルチャー

南伊勢町にある

伊勢現代美術館」を訪れた

近くにありながら立ち寄らずじまいだった



雰囲気だけでもと思い 妻とでかけた





南伊勢町はもと 南勢町と言っていたが

度会郡 南勢町と 南島町が2005年に合併して出来たまち

伊勢市の南部に位置するので「南伊勢町」となったらしい

五ヶ所湾をかかえ漁業が盛んで温暖な気候にもめぐまれ

「みかん」の産地としても有名なところ



ここに「伊勢現代美術館」がある

看板を頼りに到着した 瀟洒な建物で海に面し

メルヘンチックな庭が来館者をなごませる



建物は二階建て二人の作家の作品が展示されていた

美術館側の了解を得て 一部絵画の撮影をさせてもらった







絵画の心得はないので 心なごむひとときを過ごさせていただければ

それだけで ありがたい



庭に出てみる

五ヶ所湾に面し 別荘が多いところ





庭の桜も そぼ降る雨に打たれ 雫を湛える




はらり

ひとしずくが おちた





館長の奥様が手入れしていると言う

メルヘンチックな 庭

たくさんの 住人がいました


晴れていれば
ベンチに座り 海を眺め 草木や
オブジェ 彫刻とお話もできるのでしょう

この美術館のご自慢
屋外彫刻館 「宇空」へ案内された
扉を明けた瞬間 二人は 「ああ~」
自然に溶け込むかたちで 彫刻群が出迎えてくれた
しばし 妻とベンチに座り 背景の緑と
配置された 彫刻たち 
異空間にいるようなそんな感じで
時間が過ぎていった 
今日は お勉強してしもたな~




丁寧に案内してくれた 美術館のかた ありがとうございました








所在地


伊勢現代美術館

住所:三重県度会郡南伊勢町五ヶ所浦湾場102-8

TEL:0599-66-1138 FAX:0599-66-0999





























2010年3月20日土曜日

横山の桜

3月18日

朝から彼岸の墓参りで伊勢の霊園へ出向く
彼岸の入りで平日ではあったが 結構な混雑
それにしても 霊園内の路上駐車には腹が立つ
各区画ごとに広い駐車場が設けてあるのに
路上駐車するやつ バカモン!!
ええ大人がそんなことすんな
マナー違反の高齢者が多くなりました



墓を掃除して お参りも終え 帰路に
あちらこちらで 桜の花のほころびが見えます
そうや 「横山展望台」のさくらを見にゆこかと
妻とはなし 我が地方では一番の景勝地
その登山道は陽光桜が植えられており
ピンクの色も鮮やかな花がビジターセンターまでつづく





登山道は車でも登れるが今回は ふもとの
創造の森が目的地
静岡から取り寄せた「河津桜」が植えられており
街中の川沿い 公園などにもある

創造の森に着くと そこはピンクの色も鮮やかな世界でした
ほぼ満開に近く 咲き誇っていた

染井吉野や八重桜よりひと月も早く咲き始め
色も濃い 香りはない
うぐいすが鳴き比べで声を張り上げ
その他の鳥たちもきそっています

春ですね
横山展望台からの英虞湾を望む ライブカメラがあります

2010年3月17日水曜日

桜も見頃

3月17日

一雨ごとに暖かくなる
今日は月一回の検診日
気温はそう高くはないが 陽が当たるとあたたかい


ブログの更新もできず
気分が晴れない日が続いた

春の日の温かさのように
すっきりしたいもんやな

クリニックの前の国道沿いに植えられた桜
早咲きの河津桜の一種 陽光桜
ほぼ満開だ


この地区の最も高い山で
展望台からは志摩のリアス式海岸が一望できる
横山展望台」周辺にも この桜が植えられている
もう見頃になっとるやろな


明日は妻もお休みなので 彼岸

墓参りに行こうと思うてます


ごらんください

2010年2月8日月曜日

ぶらり そこまで でも懐かしい 伊雑宮へ

2月8日

きのう 天気もよくまあまあの お出かけ日和でした
急に思い立っつて 志摩市磯部町
神宮別宮 伊雑宮へ行ってみた
皇大神宮 志摩一宮 遠宮の役割



子供の頃は「お御田 おみた」という御田植神事がある神社の認識しかなかった
6月24日の「御田植祭」は日本三大御田植祭が行われることでも有名だ
あと二つは  千葉 香取大神宮
         大阪 住吉大社

御田植祭当日は志摩一円から多くの人があつまり
露天なども出て賑やかだった思い出がある

中学高校になるとそんな「まつり」からも遠のいてしまった


神域と隣接する 
御田植祭が行われる「田」を含めると結構な広さがある

いまは整備されて大変綺麗になっている
子供の頃のイメージとかけ離れてゆくのに 時間を感じる



鳥居をくぐり 手水を使い 神域へ
前方に2本の杉の巨木
1本は大きく傾いてはいるが 折れてはいない
ただし 支えが付けられているのだが

皇大神宮 別宮 伊雑宮ご正殿

もう何十年ぶりに来たんやろ




神宮と同じく伊雑宮も「遷宮」が行われる
社殿左には 「み敷地」が用意されている






先程の 2本の杉の木 








こんなふうになっておりました


支柱が立てられ この木を支えていました


風が吹くと「ギッギッ」と支柱との摩擦で音が聞こえます


社務所の近くには こんな木も


根元が大きく コブ状にになっていました


どれほどの時を経てきたかは わかりません









「御田植祭」がおこなわれる「神田」






日本人が稲作を通じ神と一体感を享受する神事


日本書紀に


「斎庭の稲穂の神勅」というのがある





「吾が高天原に所御(キコシメ)す斎庭の稲穂を以て、亦吾が児ミコに御(マカ)せまつるべし」
神代から日本人は稲作を尊び その恵みに感謝を捧げてきた








人間より大きなもの 力のあるもの 自然現象 すべてのものに


神が宿るを 当然として受け継いできたのだろう


だから 「八百万の神」を産んできた心広い 稀な人種とも言える





「太一」 たいつ または たいち と読む


「太」は  至高 宇宙 天界の概念


「一」は 物事の根源 始まり 唯一












 人の多く集まるところや 催し まつりなど 元来好きではない私にとって


「お御田」の写真などあるはずもないので WEBから拝借してきた


伊雑宮 御田植祭





地元にいるとつい 近くやからと思い込み


「知ってるつもり」が多いことに気づく


案外 「地元のことは地元民が一番知らない」かも?





若い頃聞いていた ラジオ番組で 永 六輔や 小沢昭一が


よく言っていたこと


「普段通らない道を通ってみる 入ったことの無い世古に入ってみる」


当たり前としていることを 少し変えてみるだけで そこに 「たび 旅」がある