8月の末に「
朝鮮時代ドラマ」について調べてみた
NHKの「
名著25」で「古事記」についての解説があった
日本の歴史書として「日本書紀」と「古事記」が有名だが
その成り立ち背景や意図に大きな違いがあることを知った
もとより 「記紀」はその難解そうなところから
日本史の授業でも詳しく触れられた覚えはない
歴史書としても文学書としても評価が高いそうなのだが
その内容について知ることは今までなかった
多くの学者研究者に依り「記紀」について研究がなされてきており
現代訳解説書も数多く出版され 研究者のHPもたくさんある
歴史学界でも「記紀」の相違点が論議され公表されつつある
古事記
和銅5年 (712年)
稗田阿禮(ひえだのあれ)の誦習を大臣安萬侶が文字に書き記したとある
口伝伝承を文字にした文学性あふれる書物といえる
日本全国の神社の宝として重要視されている
日本書紀
舎人親王や藤原不比等らが撰者となり 当時の官製日本史としての位置づけが大きい
天皇の正統性を重視し 中国唐王朝への対抗意識傾向が見受けられるという
この点から藤原不比等による「捏造説」も指摘され
「
聖徳太子は存在しなかった説」が急浮上してきている
「記紀」の信ぴょう性は学者 研究者にお任せするとして
番組中 解説者として
立正大学文学部教授 三浦佑之氏が述べられた
「日本海文化圏」と云うことばに 興味がわいた
教授によれば古代中国 南方諸国から日本海を中心とした交流文化圏があったということだ
縄文 弥生時代を通じ 海を渡り日本に至る 日本海ルートができていた
対馬海流に乗るルートだが
中国本土 南方国 沖縄 九州北部 朝鮮半島南部 チェジュ島
対馬 出雲 高志(越) 諏訪 三内丸山を回遊する海路が成立していたという
出雲の巨木神殿や銅器文化 稲作 工芸技術や翡翠文化など枚挙にいとまがない
ヤマト王権成立以前に すぐれた文明が存在したことが伺えることに驚く
紀元前600-334年に中国揚子江流域に「
越」が存在した 隣国は「
呉」であり
対立関係が絶えず38年も続いたという
中国本土に存在した「倭人」の国でもあったらしい? との説もある
対立関係にある国者同士が同じ船に乗り合わせても 遭難難破の危機の時は
助け合う「呉越同舟」の四字熟語が生まれたという
因みに「越人」はこの日本海ルートで日本に渡来し「越の国」を作ったと考える説もある
越前(福井県) 加賀 能登(石川県) 越中(富山県) 越後(新潟県)がそうである
越人は農耕や銅製品文化に優れ 富山の銅製品産業や新潟の稲作に
多大な影響を及ぼしていると考えられている
また「呉人」は織物技術に優れ 呉服は当時の呉人が着ていた服だという
そうか そうだったのかがまた新たな興味を産んでいく
古事記は
ヤマト王権が成立するにあたり 周辺地域の王国として存在した国々を平定し
出雲の国譲り伝説やヤマトに対抗する国や部族 豪族の「語り部」でもあり
「権力闘争で去っていった者 報われなかった者」への共感をよぶ記述がある
心優しい日本人の心の書であると言ってもいいのではないか
日本書紀はこれら神話 民話 歌謡を省いている傾向がある
日本書紀は垂直的 高天原 豊葦原中国 黄泉の国で遊びがない
古事記は平面的であるという 常世国 海神の国 根の堅州国の存在を表し
垂直的思想と平面的思想の融合を図ろうとする南方諸国的思想がうかがえる
ここらの思想意図を学んでみるのも興味がある
歴史は 教訓や希望 愛憎の瞬間の積み重ねであり
それらを読み取る努力をすることが私達のつとめなのかもしれない