5月27日
中日新聞の記事に
伊勢湾台風から50年の連載が始まっている
伊勢湾台風(いせわんたいふう
昭和34年台風第15号、国際名:ヴェラ〔Vera〕)とは、
当時私は小学校に入学したばかりだったと思う
台風15号の予報は出されていたが
急速な発達により強い勢力を維持したまま
紀伊半島に上陸した
当時の勢力数値
気圧 930ミリバール(当時)
最大風速 60メートル
暴風雨圏 半径300キロ(風速25メートル)
台風経路 九州を除くほぼ日本縦断
進行速度 時速60~70キロ
超大型台風だった
速度が速かったため上陸後も勢力は衰えず
一気に日本を走り抜けたようだ
幼いながら記憶は残っている
当時両親は賢島の英虞湾を見下ろす高台で
小さな旅館をしていた
台風が近づいている
勢力が大きいなどの情報はあったので
両親はじめ従業員は雨戸に板を打ち付けたり
建物の補強や整理をした
しかし実際は予想を遙かに超える強力な台風だった
紀伊半島に上陸後はスピードも上がり急速に
風雨が強くなり
大人達はその対応に追われた
風は数千枚の屋根瓦をドミノ倒しをするがごとく
ひんめくり 窓やガラスを容赦なく破壊した
窓が破られると強風が吹き込み
こんどは部屋中を破壊して回った
強風に窓を破られまいと大人達の闘いは続いたが
防戦もむなしく突風に吹き飛ばされた
窓ガラスが飛散し顔や体を傷つけるに及び
父は 「もうどうにもならん」
「けがの治療をして避難してくれ」
と従業員さん達に話していた
自然の猛威に人間の力のはかなさを
幼心に焼き付けられた一瞬だった
ますます風雨は強まり
ビールやジュースの箱(当時は木箱)が
中身の入ったまま巻き上げられ
うち捨てられた
「ガシャーン」「バリバリ」
今でも耳に残る
もちろん停電しており
ロウソクの火や懐中電灯の灯りの中
台風の一刻も早い通過を待ち望んでいた
一瞬すべての風雨が収まり静かになった
「台風の目」の中に入ったのだ
あれが台風の目や! 父は言った
中心はオレンジ色だっつた
月に照らされ薄い雲がそう見えたのかもしれない
が
ものの10分もしないうちに
また暴風雨が襲ってきた
「台風の吹き返しや」と父は言う
この吹き返しで建物はまた破壊され
屋根の土と骨組みだけにされた
恐ろしい一夜が明け
目にした物は
さらに悲惨な状態だった
家中割れたガラスがつもり
足の踏み場もなかった
英虞湾の真珠筏は互いにぶつかり
櫓を組んだように
賢島駅付近は観光船や真珠筏が駅舎まで乗り上げていた
死者行方不明者 5098名
負傷者
39000名に及ぶ
明治以来最大の台風だった
日本を縦断したため被害は甚大になり
それからの復興には多くの時間と
すべての人達の尽力があった
あらためて
犠牲になられた方々にご冥福を
復興に尽力された方々に感謝を
あれから50年めを迎える