2009年5月11日月曜日
なつかしの賢島
写真はネットより
5月10日
久しぶりに賢島駅あたりを歩いてみた
30年ほど前までここに住んでいた
昔の木造の駅舎は取り払われている
こちらは遊覧船乗り場に面した駅入り口
電車のホームは写真の右上に位置する
こどものころ良く立ち寄って「コッペパン」を買った「花屋」もある
賢島は昔奥志摩への海の駅でもあった
巡航船が浜島や御座へ出ていた
湾内遊覧船の港でもあるのは今でも変わりない
船はみな新しい船に変わり「木造船」はなくなった
「遊覧はいかが」と港付近では声をかけられる
駅前の真珠店「いわじん」と「松井真珠」は健在だ
「いわじん」はコンクリトーで近代的に
「松井真珠店」は木造で「なまこ塀」でノスタルジック
松井真珠のもう一つの店前では
「ウルトラマン」がおでむかえです
港周辺をあるいて ああ昔のままや
また えらいかわったな~と
一人で感心しながら記憶を呼び起こしたのです
2009年5月9日土曜日
2009年5月7日木曜日
志摩乃国 国分寺
5月7日
志摩地方は今日も雨です 明日昼頃まではぐずつきそう
明日5月8日は志摩市阿児町国府(こう)にある
国分寺のお釈迦様の「花祭り」です
地元では「ようかさん」として親しまれている
創建は天平時代(741年)
天平13年(741年)聖武天皇により仏教信仰のため1国1寺建立とした
志摩地方では首都であった国府(こう)に志摩国分寺が置かれたとある
その後何世紀もの間に何度も建て直され、現本堂は江戸末期1843年に完成したらしい
ご本尊は薬師如来で、20年に一度開帳され、県指定文化財にもなっています
天台宗比叡山延暦寺末。(阿児町町史より)
この国府(こう)集落は半農半漁の地区で
太平洋に面した 国府の浜という大きな砂浜に面し
古来より強風や台風時は風は勿論砂の被害に見舞われてきた
浜沿いに松を植え、居宅は敷地の周囲を「槇垣」で囲った
条里制が引かれ路地と家々が織りなす幾何学模様は美しい
国府集落は海辺のため、たびたび津波などの被害に遭いましたが
天正年間(1573~1592)に源慶寺を建立した僧・道念が点在していた村を
一箇所に集めて条里制を布き、その際に住居を約1反歩(300坪)の方形にして
砂防・防風のために槙垣を奨励したと言われています
また、本集落は、「隠居制度」と呼ばれる家族制度もあり
長男が嫁をもらうと親は隠居に移り
同じ敷地内にいながら、別居、別食、別財で
2世帯が暮らすという全国的にも珍しい風習があります
四百年前から核家族を踏襲しているのです
年中サーファーが訪れ志摩地方でも有名なサーフィンのメッカです
毎年夏は海水浴客でにぎわい
「こうの白浜」「阿児の松原」海水浴場としても知られている
明日の「ようかさん」天候が怪しい けど
無事終了を願いたい
このあと6月は
浜島の「いせえびまつり」
磯部の「御田植え祭り=おみた」へとつづく
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