入院してはや9日
抗がん剤のせいか副作用が出始める
便秘で苦しみ、肛門の周囲に炎症が起きた
白血球減少のため免疫力の低下がこわい
健康な時はさほど気にならない普段の生活も
細菌やウイルスに対する抵抗力がなくなり
感染症にかかりやすくなるという
絶えず行われる血液検査や体温測定
体重も影響があるらしく体重管理も大切
また点滴台を引きずってのシャワーは無理
少し残念
10月28日
入院指定時間は14時だったが30分ほど前に到着
1F 患者支援センターで手続きを終えて入院室へ
かねてからの希望通り個室に入室
以前、違う病院であったが 4人部屋へ入院
患者同士気を遣うし 年齢も様々
大変な目にあったことが思い出され
今回は個室を希望した 病気のこともありわがままを言った
最上階の「血液内科病棟」
血液のがんの一種 「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」は
治療法は確定されていて、実績もある
Pola+R-CHP療法というらしい
感染症に罹りやすいので「隔離病棟」扱いとなる
送ってくれた妻も病棟には入れなかった
入室してすぐ「検査」に回されたので 妻と言葉も交わすこともできず大変心残りで、申し訳なかった
明日からの「治療について」担当医師、薬剤師から詳しい説明があ
った
10月22日
日赤伊勢病院再診
例により受付完了後指示どおり「血液検査」へ
本日の採血は3本
採血後担当医からワシの「悪性リンパ腫」について詳しい説明があった
前向きに立ち向かうことだけはやりたい
その後「脊髄生検」
血液の癌といわれるリンパ腫 がん細胞がどこまで広がっているか
また他の病にかかっていないかを知るため行われる
麻酔を打ち 針で穴を開け細い筒状のものを入れ錐体の
一部を吸い取り 病理に回される
処置が終われば麻酔が覚めてくる 当日は入浴禁止
次の日もとても痛い
担当医から入院日の指定があった
10月28日だ
入院のための案内は
患者支援センターでおこなわれた
高級ホテルのフロントのようだ
入院に関する説明を受け
現在の体の具合などを確認される
確認後は入院に関し患者本人からの「希望」を問われる
入院に関しては「個室」を希望した
他人に気を使いながらの入院生活はストレスしか無い
治る病も治らなくなる 唯一のわがままだ
子供たちには経過説明と現状 入院について連絡した
10月18日
妻の休みにあわせて「期日前投票」に出かけた
支持政党などは無い
国政への民意反映の手段として毎回行っている
三重県の南部僻地では選挙カーも来ない
実に静かでありがたいことだ
石破政権は「旧安倍派」の一掃がしたいようだ
「裏金=不記載」とか自民党に対する批判は多い
給付金や減税などちらつかせ騒いでいるがその財源は
どこにあるのか
増税 増税で明け暮れた岸田内閣
経済などわからぬ輩が口角泡を飛ばしておるが
経済は「経国濟民」が本来の言葉
国をおさめて 民を救済するによる
日本国民は誰も救われていない
国立大学出身の官僚が「民のこと」など知る由もない
国会議員は官僚の「操り人形」にすぎない
官僚制度の是正が強く望まれる
志摩市長選挙は対抗馬がなく「無投票」で終わった
日赤伊勢病院
再診受付を終え受付番号を手に総合案内で「案内表」をもらう
本日の院内での行動を指示されたもの
先ずは血液検査の案内が書かれていたので診察券を血液検査受付機へ挿入
番号札が発行されるので受取り、 順番が来るまで待合廊下で待機
番号が呼ばれたので採血 「今日は採血を6本取ります」 ええ~
まあ 事もなく採血終了 耳鼻咽喉科へ出向く
案内番号が電光板に表示され 診察室へ
耳鼻咽喉科の担当医は女医さんです
開口一番 「結論から申し上げます・・・」
我々の判断では「悪性リンパ腫」とおもわれます
今後の診断は私の手を離れ「血液内科」がおこないます
思わず妻と顔を見合わせる 妻は既に「なみだ目」になっていた
「まさか自分が!!」 血液の癌の一種と宣告されるとは
女医さん曰く このあとは「血液内科」で今後の診療 方針など説明します
血液内科へ
受診番号を呼ばれ診察室へ
物腰のやわらかそうな先生だった
「~さん こんにちは 今後あなたの担当をします」
私達は よろしくお願いしますというのみ
すでに耳鼻咽喉科でお話があったと思いますが
「悪性リンパ腫」の治療をしていきましょう
まずはガンがどの程度全身に広がっているか検査したいのです
10月16日 「PET検査」を受けてください
検査には3時間程かかります 当日は水分のみ
砂糖を含んだ飲料はダメです
ブドウ糖を注射し「PET CT」で検査します
ガン宣告だった
それなら気分を切り替えて この病に立ち向かっていこう
妻と帰路の車中 「前向きに立ち向かうしかないね」
昨年は年始から耳におかしなデキモノができた
そのうちものが食べづらくなり右口角からこぼれだした
耳にできた「帯状疱疹」が原因と診断され
日赤伊勢病院へ
顔が歪み始め まるで「ひよっとこ」のような有り様
抗ウイルス薬とステロイド投与で回復した
今年6月頃から喉に変調をきたし 度々地元耳鼻咽喉科を受診
「咽頭炎」とみなされ 抗生物質と消炎剤で凌いで来たが すっきりしない
ある朝歯磨き うがいをしていたら血の塊のようなものが出てきた
急いで耳鼻咽喉科へ出向いたが 日赤伊勢病院で「精密検査」を受けてください
とのご宣託 紹介状をもらい日赤へ!
10月1日 日赤伊勢病院「耳鼻咽喉科」へ
血液検査や組織検査 CT検査 穿刺吸引細胞検査などをうけて
もうくたくたになっておりました
次は10月8日に来てくださいとのこと
一体何の病気や? 不安が渦巻く 妻と口数も少なく帰路につく
ワシの住む街は人口43000人ほど
高齢者の占める割合が42%にまでなってきた
都会とは違いゆっくりと時間が流れていくようだ
スターバックスコーヒーや
ケンタッキーチキン ドトールコーヒーなんかはない
吉幾三の歌にある「俺ら東京さ行くだ」とは時代が違うが
最近まではそんな状態であった
都会から来た人たち用に「はま寿司」 「マグドナルド」などはある
地元民はあまりそんなところには行かない
「イオン」が規模は小さいながらもあり 「PLANT]もできた
買い物には困らないが自家用車が必要
大人の数だけ「軽自動車」がある
道幅が狭いので大きな車はかえって不便になる
田舎暮らしは静かだ
夜7時を過ぎれば幹線道路を除いて車通りは少ない
特に住宅地ではほとんど音がしなくなる
高齢者と言われる年代になり 夜9時頃には床につく
朝は5時頃目覚める
だから9時以降のテレビ番組は知らないし興味もない
暖かくなってきたので庭の手入れをしたい
今年は何を植えようか妻と相談せねば
3月 久しぶりに伊良湖へ出かけた
伊良湖ビューホテルは経営母体が変わり
「伊良湖オーシャンリゾート」と名前が変わっていた
1泊2日で渥美半島を旅し楽しんできた
道の駅「飯高駅」にも出かける 温泉と買い物が楽しみ
正月元旦から能登半島地震で正月気分が吹っ飛ぶ出来事で幕開けとなった
その後も各地や台湾花蓮地震などがあり落ち着かない
新型NISAがはじまり金融機関 証券会社が勧誘に忙しい
ワシ自身は5年ほど前から始めていたのでそれほど目新しさはない
政府が年金制度の綻びから将来安定した年金を保証できないから税金のかからない
制度の一つとして自分自身で備えなさいということなのだろう
自分のことは自分でやれだな 丸投げじゃ話題は変わるが 三重県で最も人気のある道の駅が報じられた
第1位は「道の駅 飯高駅」
温泉施設を併設し 地元特産物や野菜類の販売で人気がある
食事施設もあるし 季節に応じてメニューも変わる
松阪牛やジビエを使った献立も楽しませてくれる
最近は米屋が営む「おにぎりや」ができて結構うまい
奈良県の吉野にも近く「吉野の桜」見物の行き帰りに立ち寄るのもいいかも
バイクのツーリング客で賑わう場所でもある
今年はあちこち出かけているのでまた書き記そうと思う
本日はここまで
この日記もずいぶんお休みをした 体調不良とかではない
なにげにこれを書くと言う意思が薄れただけ
コロナの蔓延もあり日々感染に怯えていたのかも
最近ではコロナワクチン接種の後遺症が取り沙汰されている
ワシが住む田舎の小さな町は 人口4万3千人ほど
高齢者が43%の人口を占める
どこを見てもジジババばかりになってきた
高齢者が高齢者を支える悲しい構図が見えてきた
ワシも8月が来ると72歳になる
2年ほど前 妹をガンでなくした 弟はそれ以前になくなり
兄弟はワシのみとなったがそれほど悲しみや 寂しさはない
孫も成長し中学生になる 生まれて初めて抱き上げたときが思い起こされる
コロナ禍中は遠距離の移動も制限され 旅行などもってのほかやった
世界中でコロナの規制が緩和され 今や日本中外国人旅行者で溢れかえる
失われた4年間を取り戻すかのように
今年我が家も屋根やベランダ 外壁が老朽化し 30年ぶりに改装した