2010年10月30日土曜日

高野山へ

10月29日

仕事で和歌山県高野山へ行くことになった
老人施設に入居中の女性77歳の墓参が目的だ
大阪にお住まいの頃は毎月高野山へ来ていたという
三重県津市から車で約160キロ 3時間から4時間をみていた
朝8時に津市を出発 休憩等も入れて11時40分頃到着した
和歌山県橋本市から高野山への登山道があるが
道は細く 鬱蒼とした原始の山
おかげにクネクネ道で 冷や汗モノ



それでも何とか高野山にたどり着いた
弘法大師空海が修業の場としてひらいた
高野山真言宗の総本山だ
真言宗も主な宗派だけで18を超えるという
今回の仕事はドライバーに徹し 往復の運転をした





標高1000メートルの ”空中宗教都市”
気温も低く 防寒着をシッカリ着込んだ人が多い
私は”仏教”に関しては宗旨宗派が異なることもあり
どこの寺院に行ってもお参りはしない主義

今回は町外れにある「奥の院」
空海の霊廟があり その手前に
数万基の”石碑”が立ち並び圧倒される
”石碑”としたのは観光バスが着くと観光客を連れて案内する
”高野山ガイド”の説明に耳を傾けていてのこと
本当の墓は別なところにありながら 高野山へも墓所を設けているので
形式的なものだという 魂はここにありません
これば単なる石碑ですといい 観光客の笑いを誘っていた
少しでも天国に近くへの思いで ここに墓所を設けるのか
中には日本を代表する企業の慰霊塔などが立ち並び
コマーシャル合戦をしているかのごとく映るのは私だけかな
「名刺受け」なる石碑を設けている会社も多い
なんだここは?

Panoramioへリンク


”お大師様”の霊廟にお参りをし
空中都市は気温も下がり ご本人さんの体にも震えが来た
体調をくずされてもいけないので 残念ながら
”お墓参り”は叶わなかったが
帰路に着くことにした




空中宗教都市”高野山”
100を超える寺院がたちならび
その大半が”宿坊”を兼ねるという
観光協会も「旅館案内」ではなく
”宿坊案内” の文字が


8つの峰が重なり 蓮の花が咲いたような形とされている
高い 八つの峰 高八山=高野山か







とういわけで墓参の願いは叶わなかったが
依頼主を無事施設までお送りできたことは
自分の仕事としては満足

だが信者か仕事でなければ 
”もう二度と行きたくない”ところではある
朝5時起床で 帰宅午後9時 
自分自身に お疲れ様

2010年10月28日木曜日

最近ウザイひと

10月28日

この日記も更新が遅れ気味
自分日記としての書き込みやが
仕事にかまけて忘れてしまうことも



毎朝見る顔で  みのもんた
最近よく咳き込む姿が見受けられる
他の人が話している最中咳をし
意味がわからんようになることもしばしば

経験から言えば飲み過ぎによる
「逆流性食道炎」か?
胃液などが食道を伝い喉元にまでこみあげてきて
食道のただれや 炎症 胸部の不快感を訴える症状
胃液が喉までくるので咳がよく出る




別にこのヒトのファンでもないし どうでもええことなんやが



知ったかぶりの 思い上がり癖で
多くの物議を醸し 謝罪もたびたび  だが
本心から謝っているフシはケレンも見受けられない
特に外交に関する物言いには国交に影響をも与えかねない
縁戚に国会議員がいることや議員たちとの交流もあるからだろう
人の話を聞かない 遮る 横柄な物言い
それが この人の特色といえば ソレまで
本業の水道メーターの販売会社経営でも談合で処分を受けている人物
批判がある うっとうしい 
出る杭は打たれる と言うが
出過ぎた杭は打てないの 言もあるが
根元を切ってしまえば それまでのこと
回りの女子アナもやりづらそうやが 教育しておるつもりなんやろか
ウザイおやじと心のなかでは思とるにチガイない?
使う方も使う方やが 出る方も出る方も出る方やな
視聴率を稼いだ実績がある? マスコミのごみになりそうやな
ソロソロ 整理したらどうやろか
いつまで朝の番組に出てくるつもりなのかね







さいきんはプロデューサーか作詞家か 隠れ実業家か
多くの顔をもつこの人もある面 うっとうしいヒト
若手芸人を育てる意味合いもあるのだろうがよく出ているヒト
「感動の押し売り隊長」との別名を持つ




宇宙人の喩えが正しい ヒト科の生命体ではないとおもう
焦点の定まらない目つき その場の思いつきで話をする
総理退陣時 政界をさり 畑を耕すとほざいていたが
またぞろ 思いつきが口から出たのか 喉元過ぎれば・・・
なのかフラフラ フラフラ 


いっそ船乗りにでもなって一生波に揺られておればええのに
この”生命体”に一時は 日本国を託した


あはれ くにたみの くろう いかばかりや ああ~
※ あくまで個人の感想であり事実と相違することもあるかも
一切の責任は負いません

2010年10月25日月曜日

行こか 戻ろか 


大きな地図で見る

10月25日

伊勢での仕事を終えて神宮の
「饗土橋姫神社」を撮影に行こうと神宮駐車場へ
たくさんの観光バスと自家用車でパーキングは満車

仕方なく神宮の五十鈴川沿いに奥地へ
この道は県道12号線 神宮と南伊勢町五ヶ所をむすぶ道である
この道を少し入ったところで駐車して撮影に行こうかと考えたが
車を駐車する場所もない そのままズルズルと奥地へ
あまりにも幅員が狭く対向もできんほどや
対向車きたら どないしょう


大型車通行禁止の道である 平均幅員2.0メートル
途中に高麗広(こうらいびろ)という山間の集落がある
五十鈴川沿いにすすむと神宮林で鬱蒼と木立がならぶ




しばらく走ってきてこのまま行こか 戻ろか
ええい ここまで来てしもた
戻るのも同じ怖い思いをせんならん
ほんならこのまま行ったろやないかい!
道幅の狭さと急なカーブ 
おしっこチビりそうな思いですすめる

我が車はアリスト 全幅1.8メートル
朽木や枯葉 落石の危険もありながら苦闘30分
「剣峠」という見晴台に出た
あら~なんと素晴らしい眺め
天と地と海が一体になってみえる
光る海 熊野灘
神々もいにしえびとも同じ光景を見たのだろう


剣峠とは 荒神が天界からおりてきて
剣を地面に突き刺した場所だという



伊勢と五ヶ所をむすぶ信仰と商きないのみちでもあったらしい
それにしても昔の人の労苦はいかばかりやと 感じ入るしだい
車が通行できる道になったとは言え
もう二度と来たいとは思わん道やった

太古から神宮の森として保護されてきた歴史もあり
野生動物や植物の住処である
幸いこの道で一台の対向車もなかった
まあこんな道 誰も通りたくはないやろがね

この剣峠は野生椿の群生地でもあるらしい
椿峠の別名もあるらしい
昭和11年 五ヶ所地区の要請で
童謡「七つの子」「赤い靴」の作詞者
野口雨情がこの地に逗留し「五ケ所小唄」の作詞をしたという





神路山越え

   また来ておくれ

乙女椿の

咲く頃に

と石碑にはきざまれていた

怖い思いをしながらではあったが
あらたな発見もあり
野口雨情の碑をたずねる旅も興味がある